編集部: 斉藤先生は、体育学部で何を教えているのですか?
私は今、国士舘大学体育学部の武道学科で、学生たちにトレーニングを指導する技術を教えています。柔道や剣道などの競技力向上のために、トレーニングが必要なのはいうまでもありませんが、日々の生活の中でも体力をつけるために、トレーニングは役立ちます。「基礎体力」という言葉がありますが、生きる上で基礎になるのが体力です。体力がつけば、気力も充実してきます。そして、病は気からというように、気力が充実してくれば免疫も維持できて、病気になりにくくなります。
最近は海外でも柔道をやられる方が増えてきました。フランスなどは日本より柔道人口が多いぐらいです。「柔道をやると素直になれる」「人をいたわる気持ちが生まれる」といって、子どもにやらせる親が増えてきました。また、70才や80才といったお年寄りが目を輝かせて柔道の形をやっておられるのを見ると、本当に頭が下がります。これからは生涯武道といって、子どもからお年寄りまで、健康のために武道を続ける方が増えてくるでしょう。高齢化社会となった今、長い人生をイキイキと生きるためにもトレーニングの知識は役立つし、武道学科を出た学生には、いろんな形で社会で活躍できる道があると思います。
編集部: トレーニングの授業では、どのようなことを教えているのですか?
授業をⅠ期とⅡ期に分けて、Ⅰ期では体力向上のためのトレーニングの基礎を教えています。普通、小学校や中学校でやるトレーニングといえば、腕立てや腹筋などですよね。でも、ただやみくもに体を動かすだけではダメで、正しい理論を身につけた中でトレーニングをすると効果がだんぜん違ってきます。私が教えているのはSAQトレーニングといって、もともとアメリカで開発されたもので、ボールやゴムなど、いろいろな器具を使って、スピードや敏捷性、素早い反応などを高めていきます。
指導者としてトレーニング方法を人に教えるためには、まず、人間のカラダの仕組みを知っておく必要があります。生理機能や筋肉収縮のメカニズムといったことですね。たとえば、筋肉は使わないと低下しますが、だからといって過度に使いすぎるのもよくありません。筋肉を発達させるためには、適度な負荷をかけてあげる必要があるのです。Ⅰ期の授業で、このような基本的な知識を習得したうえで、Ⅱ期はそれを実技で応用することを学んでいきます。
編集部: 実技というと、具体的にはどんなことをやるのでしょう。
実技の授業では、Ⅰ期で学んだ基礎知識をベースに、チームに分かれてそれぞれがトレーニング方法を考案し、それを授業の中で実演しながら発表していきます。難しいのは、どうやって自分たちが学んできたことを、人に教えるかということです。指導者という立場になると、自分でうまくできても、それを人に伝えられなければ意味がありません。コミュニケーションの能力も必要になってくるわけです。大人はまだいいのですが、子どもを教えるのは本当に難しい。特に柔道などの武道は「道」です。「道」とは精神のことで、単に実技を教えるだけではなく、「道」に込められている礼節や倫理観など、精神的な面を説いていく必要があるわけですが、これが小学生には難しい。人をいたわる気持ち、感謝する気持ち、礼に始まり礼に終わるといったことを教えていかねばなりません。私の場合は、柔道の全日本のコーチや監督という立場で、小学生からトップの選手までを教えた経験があるけれど、いちばん大変なのはやはり小学生でした。大人に教える方がはるかに簡単です。小学校の先生は大変だなと、つくづく思いましたよ。
編集部: 学生に教えるうえで、特に気をつけている点はありますか?
私は学生にレポートを書かせるとき、パソコンを使わせないようにしています。パソコンだと、人の文章をコピーできますからね。全部手書きです。ゆっくりでいいから、自分の言葉で書いてこいといっています。そして、レポートはチェックしたうえで、全部本人たちに返すようにしています。これはお前たちの財産なんだから、自分で大切に持っているようにとね。多分、学生たちは捨ててしまうと思うんです。でも、それでいいと私は思っています。大学を卒業して、誰かから「トレーニングのメニューを組んでください」とお願いされたとき、彼らはきっと思い出すはずです。「ああ、斉藤のいうことを聞いて、取っておけばよかったな」と。それでいいんです。それで改めて図書館に行って、本を調べながら、「あ、これやったことある」「これもやったことある」と、学んだことを思い出してくれればいい。あのとき斉藤がいっていたのは、こういうことだったんだと、そのとき気づいてくれればいいんです。
編集部: 先生は、そもそもなぜ柔道の道を志されたのですか?
私は青森県出身ですが、青森は相撲が盛んな土地でして、体格のいい子はまず相撲をやる。そして、小柄な子はレスリングをやる。女子レスリングの伊調姉妹や吉田沙保里のお父さんも青森県の人です。私は子どもの頃から体も大きく、スポーツも得意でしたが、小学生の頃は柔道をやっていませんでした。きっかけは変な話ですが、テレビの番組なんですね。「柔道一直線」という番組がありまして。大噴火投げとかいって、体育館の上まで飛んでいく。あれを見て「スゴイ!」と素直に感心してしまったんですね。それで、柔道をやろうと決心して、中学に進みました。
ところが、中学で柔道を始めると、初めのうちは礼法から学んで、受け身や技の打ち込みばかりやらされるんです。テレビのような派手なことは一切ない。それで、つまらなくなってきたところに、問題が起こるんです。それまで柔道部の顧問をやっていた先生が転任でいなくなり、廃部の危機を迎えました。人間、なくなると思うと急に惜しくなるもので、部員たちで必死に顧問になってくれる先生を探して、柔道部を存続させました。それからですね、本気で柔道をやりたいと思うようになったのは。
編集部: それで中学のときから、順調にエリート街道を進まれたわけですか?
いや、とんでもない、紆余曲折ですよ。実は、柔道部の顧問を頼んだ先生というのが柔弱な感じの人で、「柔道をやったことありますか」と聞くと、「ない」と言うんです。でも、とってもいい先生で、ある日一冊の本を買ってきて、「俺も一緒に勉強するから、みんなでやろう」と言ってくれたんですね。その本というのが、柔道の入門書だった(笑)。それで本を見ながら、見よう見まねで技の研究をして、自分たちの柔道を創り上げていったんです。
国士舘との出会いは、中学三年のときでした。国士舘大学の中野先生が、市の大会をたまたま見に来まして、そのときは3位だったんですが、中野先生が高校の川野先生に話してくださって、入学を勧められました。私としては東京には行きたくなかったんですが、父が、川野先生の前で「息子を東京にやります」って言ってしまうんですね。さらに、「一つだけ条件がある。息子が一人前になるまで、絶対に家に帰さないでくれ」と。のちにこんなことをいった親は、後にも先にもお前のおやじだけだと言って笑われましたが。
編集部: 柔道部の練習は厳しいものでしたか?
入学すると、先生にこう言われました。「国士舘は日本一を目指す高校だ。日本一厳しい稽古をして、はじめて日本一になる権利が生まれる。そして、試合で稽古をしたすべてを出しきったとき、優勝できる」と。その言葉通りに、一所懸命練習しました。人間というのは身を置く環境によって、目標も変わってくるし、目指すものは人それぞれだと思いますが、ただ、それを達成するためには楽をしてはいけません。苦しいことを、耐えることはやはり必要です。結局は、何事も自分との戦いなんですね。自分に勝つのは難しいことです。でも、自分に負けないことならできる。努力すればできるんです。
編集部: その後、ロサンゼルスとソウルオリンピックの両方で、金メダルをお取りになりました。
私は同じく金メダリストの山下先輩に追いつき追い越せで、柔道をやってきました。結果、山下さんとの勝負は7戦7敗に終わりましたが、しかし、それでよかった。追いつき追い越せの気持ちが大切だったのです。その気持ちがソウルオリンピックでの金メダルという形で結果に出ました。
メダルは私の目標でしたが、一人で取れたとは思っていません。本当に多くの人の支え、応援があって、みんなの代表として舞台に上がれました。感謝の金メダルだと思っています。たくさんの人に助けていただいたから、今度は私が助ける番です。私が柔道で学んできたことを、どう世のため人のために役立てるか、今はそれを考えています。
編集部: 最後になりますが、学生にはどんな人間に育ってほしいですか?
学生たちには、まず自分なりの目標を持ってほしいと言っています。そして、自信を持って目標に向かって進んでほしいと。自信とは、自分を信じること、信じられるほど努力をすることです。学生の目標に対して、私にどんなサポートができるのか。学生たちにとって最良の環境をつくってあげることが、私たちの使命であり、体育学部の教員全員のテーマだと思います。
私は今50才ですが、何才であろうと完璧な人間はいません。自分自身、全日本のコーチや監督をやってきて、人に教えることによって、教えられることがたくさんあることに気づきました。今でも、日々新しい発見があります。柔道に「自他共栄」という言葉がありますが、上から目線ではなく、学生と同じ目線になって、共に学び、高めあっていきたいと考えています。
斉藤 仁(SAITO Hitoshi)教授プロフィール (斉藤仁教授は、2015年1月に逝去いたしました)
●国士舘大学体育学部卒業
●専門/体育学、柔道、武道コーチング特論、武道トレーニング論実習
●全日本柔道連盟 強化副委員長
掲載情報は、
2011年のものです。