11月3日、法学部附属比較法制研究所主催の公開講演会「三四半世紀を経て東京裁判を顧みる―実りある議論と研究のために―」が世田谷キャンパス34号館B棟3階301教室で開催されました。講演者に、国際日本文化研究センター教授の牛村圭氏を招き、1948年の閉廷から75年を閲した東京裁判を振り返り、歴史研究のあり方と東京裁判という裁きを受けた日本には果たすべき役割はないのかについて思いを巡らすひとときとなりました。
はじめに佐藤圭一学長があいさつで、毎年開催する本講演会について「国士舘創立100周年記念事業の一つである極東国際軍事裁判(東京裁判)研究プロジェクトを継承するものとして大変意義のある活動。来場者も歴史研究のあり方について期待をもってお聞き願いたい」と話しました。
牛村氏はまず、裁判の起源や法的根拠、訴因と判決などの東京裁判の概要について、ニュルンベルク裁判と比較しながら説明した上で、東京裁判研究に関する基本資料の紹介に移りました。そして、これまでの東京裁判の先行研究から、誤記?誤訳、あるいは一次史料にあたっていないために生じる誤認?誤解などの事例を紹介し、①一次史料にあたること、②復刊?復刻などで生じる表記改変の可能性に注意すること、③用語は正しく用い自分の解釈を持ち込まないこと、④翻訳が不自然であるならば原典を確認すること、が歴史研究の上で重要な諸点であると強調しました。牛村氏は「歴史研究は死者との対話であり、自己に都合がよいように史料に手を加えるような解釈は死者への冒涜にあたる。それは歴史への眼差しとしてあってはならないこと」と強く語りかけました。
また、21世紀初めのイラク戦争後のフセイン裁判などをも概観し、「東京裁判を経験した日本であればこそ世界に向けて訴えられること、さらには果たすべき役割があるのではないか」と投げかけました。
牛村氏は自身の新しい研究成果についても紹介し「国際検察局の尋問調書のような未だ十分には活用されてはいない史料を用いると、たとえば残虐行為の責任を特定の被告に不当に押し付けた経緯が推測できる。こういう宝の山と言ってよい記録を活用して、研究者を志す方は研究に向かってほしい」と講演を結び、質疑応答ののち閉会しました。