本企画では、文学部の専任教員が「どんな専門なのか」「何が勉強できるのか」といった内容を中心に、受験生の皆さんへのメッセージを含めたショートエッセイを執筆しました。どうぞお楽しみください。
教育学科 教育学コース
四徳目のバトン
郡司 菜津美(ぐんじ なつみ)准教授(専門分野:教育心理学)
「誠意?勤労?見識?気魄」を教育指針とする本学では、「真面目に、よく働き、広い視野で、とにかく前に突き進む!」といった学生が育っていることを感じます。身近な例で言えば、私の研究室のゼミ生たちです。
ゼミでは、①まず、自分たちの興味関心のあるテーマは何かを真剣に考え、それについてよく下調べをしています。②次に、どのような活動を通してそのテーマについての学びを深めていくのか、しっかりと計画をたてて準備し、③実際に多様な他者と関わり、遊び、学ぶことで、④より良く生きるエネルギーを生み出していきます。
2021年度春期最後のゼミでは、「安心感のある場づくりのための言葉かけ」を探究する目的で、ポートボール、スウェーデンリレー、ビアポンの三つの活動を行いました(ビアポンの様子は、郡司ゼミ公式Instagramで紹介をしています)。真面目で、よく働き、広い視野で、とにかく前に突き進んでいく。そんな学生たちが育つ秘密は、先輩たちの存在です。
今日も、前向きな学びのバトンが後輩たちに受け継がれています。
- 春期最後のゼミで
- 郡司ゼミ公式Instagram
<2021年8月24日(火)掲載>
一生の仲間と出会えた郡司ゼミ
令和2年度卒業生 Tさん 教育学コース
入学した時、知らない人ばかりで、充実した毎日を過ごせるのかとても不安でした。しかし、学校探検をオリエンテーションで用意してくださった個性豊かな先生方、初めての履修登録で丁寧に教えてくれた優しい先輩方、そしてなによりも、何気ない毎日を一緒に過ごした友達のおかげで、楽しく学びながら成長し、4年間があっという間に過ぎていきました。写真は私が当時3年生だった頃のゼミのメンバーです。みんなで誕生日をお祝いしたり、ディズニーに行ったりしました。
大学生活の中でも特に忘れられない思い出です。コロナ禍で会いたい人に自由に会えない日々が続いていますが、離れていても心で繋がっているような、卒業しても縁が続くような仲間に出会えた事を入学して不安を抱えている自分に伝えてあげたいです。
- 先輩の誕生日会にて(撮影:令和元年度)
- ディズニーランドにて(撮影:令和元年度)
<2021年8月24日(火)掲載>
活気ある総合大学ならではの幅広い教養と実践力
桜井 美加(さくらい みか)教授(専門分野:臨床心理学)
国士舘大学は2017年に創立100周年を迎えました。私が国士舘大学のキャンパスを初めて歩いた時の感想は、「活気にあふれている!」でした。私が特に感じる本学の特徴や良さとして、2つのことを述べたいと思います。
ひとつめは、総合大学であるということです。学生たちは自分の所属する学部やゼミでの勉強はもちろんのこと、総合教育科目では他学部の先生方の専門の話を聴き、学ぶチャンスがあります。例えば、私の専門領域(臨床心理学)の中で子どもを対象とした「遊びながらカウンセリングをする」という遊戯療法がありますが、プレイルームのスペースの広さや照明の明るさ、音響が望ましいかについて、建築家の先生の研究室を訪ねてヒントを得つつ研究することができます。その逆バージョンとしては、建築を学んでいる理工学部の学生が、住み心地の良い住宅とはどのようなものか心理学的に考えたいと思った時に、私が所属する文学部の心理学の専門の教員から学ぶことができます。
また私は、研究者として国士舘大学の総合大学という特徴を活かして、理工学部の先生方と一緒にコミュニケーションロボットとの対話による心理的効果の研究を始めています。
ふたつめは、防災?救急救助総合研究所があることです。総合大学の強みを活かし、救急医学ご専門の体育学部の先生方を中心に、防災に関連する建築、土木、地理、気象学、法律、心理学などありとあらゆる専門の先生方が関わり、多角的な観点から日本の社会を災害から守り市民の安全な生活維持、向上につなげるための研究が行われています。災難に遭われた方たちの救助など、学生によるボランティア活動を通じて大きな教育効果が現れていますし、また得られた知見を本や大学紀要に公表することで、日本のみならず国際社会にも貢献しています。そこには台風で土砂災害の被害に見舞われた地域についてニュースが流れた途端、翌日にはさっそく組織的に援助に向けて動いているチームが存在します。「人を助けるとはどういうことか?」を概念的に考えることが多い私にとっても、大いに参考になるところです。
幅広い教養と実践力も身に着けることができる国士舘大学で、学友と出会い、ぜひ一緒に私たちと学びましょう。
<2022年1月18日(火)掲載>
キャンパスが世田谷にあるということ:教育学的小考
助川 晃洋(すけがわ あきひろ)教授(専門分野:教育学)
世田谷では、明治期に私塾や小学校が設置され、大正期、特に関東大震災以降になると、多くの人々が都心から移り住んできたのに合わせて、私立学校の新設や移転が相次いだ。近年の取り組みだと、区立全小?中学校における独自教科「日本語」や「9年教育」、桜丘中学校の校則、定期テスト全廃の実践がよく知られている。
つまり世田谷は、今も昔も教育改革のまちだ。教育学を専攻する者からすれば研究のネタ、教職をめざす学生にとっては参照事例の宝庫である。かく言う私も、学部の卒業論文作成時に、区内、小田急沿線に所在し、大正新教育をリードした某学園の図書館に通い詰める中で、ドイツ由来の貴重な資料を入手することはもちろん、東京郊外特有のハイソで文化的な雰囲気から様々な刺激を受けた。
世田谷のど真ん中にいるからこそできる。そんな地の利を活かした教育学の研究と学習をぜひ本学(部)でどうぞ。
<2022年10月26日(火)掲載>
忘れられない国士舘のイメージ
鈴木 裕子(すずき ゆうこ)教授(専門分野:教育学)
それは私がピカピカの新卒の頃。横浜市新採用教員として同期入職したNさんは国士舘大学体育学部出身でした。柔道部で故斉藤仁さんとチームメイトだったそうです。がっしりした体格でこわそうな外見とは裏腹に、子どもたちに優しく寄り添う素晴らしい先生でした。
ある日Nさんたちと一緒に帰宅途中、人通りの多い駅前で、角刈りの若い男性がすれ違いざまNさんの肩がぶつかったと絡んできました。私たちは思わず後退りして他人のふり。そのときNさんは男性が担いでいた柔道着にふと目をとめ、彼に向かって何かを言いました。次の瞬間、彼の表情は一変。「申し訳ございませんでした」と平謝りする男性に、「もうこんなことをするんじゃないぞ」と諭すNさんの姿が印象的でした。以来、国士舘といえば正義を重んじる体の大きな学生が柔道着姿で闊歩する風景を勝手にイメージしていました。
…それから数十年。初めて世田谷キャンパスに足を踏み入れてびっくり。全然違う(笑)。でもスポーツがさかんで活気にあふれたキャンパスであることは間違いない。そして教育学コースの学生さんはあったかいハートの持ち主が多く、みんな仲が良い。国士舘でそんな学生さんたちと出会うことができて本当によかった?と、いつも思っています。
<2021年11月9日(火)掲載>
共に考え、共につくる
本間 貴子(ほんま たかこ)講師(専門分野:特別支援教育、知的?発達障害教育)
私は国士舘大学に勤務して3年目になります。知的障害教育が専門で、主に特別支援学校教諭免許を取得するための授業を担当しています。(国士舘大学文学部教育学科教育学コースでは2019年度入学生より特別支援学校教諭免許状の取得が可能になりました。)特別支援学校教諭免許の取得を目指す一期生の学生は現在3年生で、特別支援の免許を取得するために勉強しています。
私が担当する授業では主に知的障害のある生徒への授業づくりと指導法を学んでいます。
この授業では、保健体育と地理?歴史?公民の免許を基礎免許とする学生が共にチームを組み、指導案や教材を考えて、模擬授業を行います。基礎免許の種別は異なるのですが、共に協力してグループワーク(協働作業)に取り組んでいる様子が窺えます。
それぞれの学生が集団の中でうまく意見を伝え、また、相手の意見を前向きに受け止めながら授業を考えたり、教材を作成したりしています。このような「共に考え、共につくる」姿勢は、特別なニーズのある子どもたちへの教育支援を行う上で欠かせないスキルです。
特別支援教育では、教師が独りきりで考えて、独りで授業を進めていくことはあまりありません。複数の担任で行うティームティーチングの授業が基本ですし、たとえ1対1の個別指導を実施するにしても、適切な指導計画を考えるうえで親御さんや心理士、福祉サービスに携わる方、医療関係の方など様々な方の意見をききながら共に連携して取り組むことがよくあります。
国士舘大学文学部教育学科教育学コースでは、1年生の時からグループワークをする授業があり(例えば「教育学の基礎」の授業では、チームでプレゼンをしたり、小グループで議論をしたりします)、共に考えて何かを一緒につくる力を身につけていく機会があります。
こうした力は、特別支援教育にかかわらず、社会に出てから必ず役立ちます。ぜひ国士舘大学文学部で一緒に学びましょう。
- 授業で学生が作成した「5までの数を学ぶ教材」
<2022年1月25日(火)掲載>
忘れられない国士館のイメージ
村上 純一(むらかみ じゅんいち)教授(専門分野:教育社会学、シティズンシップ)
初めての本務校として、国士舘大学文学部教育学専攻(当時)に着任したのは、1996年の春、35歳の時でした。当時、外から見た国士舘大学のイメージは「硬派」や「応援団」といったものでした。いざ入ってみると、学生たちの、後輩への面倒見の良さと気配りの細やかさ、私に対しても気さくに接してくれることなどに心動かされ、イメージが大きく変わりました。1年目は授業の準備や専攻の雑務に追われて、文学部のユニークな教授陣と長時間の教授会に驚く暇もなく、あっという間に過ぎていきました。それでも若かりし頃の私の写真を見ると、学生たちに感化されたからでしょうか、とても清々しい表情をしています。それから四半世紀が経ち、若手から中堅へ、中堅から古兵へと立ち位置は変化しましたが、今でも時々思い出すことがあります。それは3月の学位記授与式の頃、心の中で1年間を振り返ってみたときに浮かんだ言葉が、「僕はこの大学が好きだな。」だったことです。
<2021年12月7日(火)掲載>